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中学生の頃、「自分の代わりなんて、いくらでもいるじゃないか」と思って、内心、ふてくされていた時期がありました。

例えば、事故で自分が死んだとする。
悲しんでくれる人もいるのかもしれないけど、教室には、他にも、自分と同じ中学生が大勢いる。
そして、おそらく、自分が死んだ後も、彼ら・彼女らは、おおむね普段通りに学校生活を送るだろう。


つまり、自分の死は世間に何の影響も与えておらず、そういう意味で、私は、所詮、替えの効く存在でしかない。
今、思えば、馬鹿馬鹿しい限りですが、当時は、このことを受け入れることができない部分がありました。






















今は、むしろ、真逆です。

自分の代わりがいてくれた方が助かる。




















こう考えるようになったきっかけは、大学のサークル活動かもしれません。

当時、代表をやっていた私は、たくさんの雑務を抱えていました。
まだ、他人に仕事を振るのが苦手だった頃なので、ほとんどの雑務は私が引き受けている状態です。
サークル以外にも、勉強やバイトもやらないといけないのに……。



















こういう時、「自分の代わりの人がいてくれたら、すごく楽なのになぁ」と思っていました。

実際は、単に、私が仕事を振れなかっただけの話なので、代わりの人がいなかったというわけではないです。
それでも、当時は、このように考えてしまっていました。

そして、自分が替えの効く存在であることを嘆いていた中学時代を思い出しては、その視野の狭さに苦笑いしていました。



















現在、それなりのポジションにいながらバイトを辞めようとしている私ですが、これは、私の代わりの存在がいるからできることです。

もし、この仕事が私にしかできないものなら、退職の許可がもらえず、まだ揉めていたと思います。
仕事さえ覚えてしまえば、私以外の人にもできる仕事だからこそ、こうやってスムーズに退職を決められることができたのでしょう。



例えば、私が替えの効かない存在だとします。
私が休むと、会社が回らないというような人材。


この状態だと、私には社員全員のクビがかかっていることになります。
これだと、休むに休めない。責任が重すぎて。
また、下手すると、 休みを取ろうと思っても、取らせてもらえないかもしれない。
きっと、これに当てはまる最たる例が経営者の方々なのでしょう。
他人の人生を預かるプレッシャーは、きっと私の想像以上なのでしょうね。



















「代わりがいる」と言うと、人間ではなく、ただの歯車とみなされてるようで、ちょっと抵抗が生じる部分もありますが、休むという点で考えたら、実は、これって、かなり優秀なシステムなんじゃなかろうか……。


そんなことを思いながら、誰かが代わりに働いて回してくれている社会の下で、今日もブログを書くのでした。
もっとも、創作に関しては別ですが。




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